【騙されていませんか】多情報社会を生き抜く方法
こんにちは。Twitter上でたまにハッスルして怪文書を書き連ねてる、そんなColonelです。
今回の話題は現代における情報について。タイトルからしていわゆる多方面からの情報取得について話していきたいと思います。
偏向報道やらが話題になる昨今、再度情報の取捨選択の大事さについて、考えてみてはいかがでしょうか。
また、簡単に一般人が自身のプライバシーを公開できる、そんな現代社会の危険性についても個人的観点から語っていきたいと思います。
現代は多情報社会
多情報社会っていう言葉は私の造語です。(多分ほかに使ってる人はいないんじゃないかな)
それほどまでに情報発信先が増えている、ということです。
もちろん私らのような個人ブロガーからそれを専門に書いているライターの皆さん。
各種テレビ報道、新聞、ラジオなど…様々な発信先がありますね。
しかし忘れてはいけないのは、私たち一人ひとりが簡単に発信者になれる、ということです。
例えば、近くの交差点で事故があったとします。これを見たA君はTwitterでこうつぶやきます。
「やばい、家の近くで事故が起きたwwwどうしよwwww」
この時点でA君はインターネットという情報の海に、自身が目の前で体験した情報を発信したことになります。彼にその意思があろうとなかろうと関係なく。
そう、簡単に発信者になってしまうということはこういうことです。SNSに情報を発信するということはそれだけ不特定多数の人間にその情報が渡るということです。
その危険性を、本当に正しく理解していますか?
以前の熊本地震の時に、有名なデマがが出回りました。
これがその有名な俗にいう「ライオンデマ」です。この記事にあるようにTwitter上でデマを拡散した彼は逮捕されました。
そうです、逮捕されたんです。
これで前例ができたわけです。デマツイは逮捕されることもある。という前例が。
Fav、リツイ―ト欲しさにデマツイート、していませんか?
何が言いたいかと申しますと、自身の発言に自信をもって発言することをお勧めします。
ネット上で光の当たらない部分はありません。いつか掘り出されます。(まあディープウェブになるとまた話は別ですが)
そして一度はなたれた情報は、消えません。決して。
何かしらの情報を発信するとき、それが本当に正しいことなのか、それともデマなのか。
発信することで自分の思ってる以上の影響になったりしないか。
評価が欲しいだけの投稿ではないのか。
そういった点から再度自身の投稿を見直してみるといいかもしれません。(うぅ、耳が痛い…)
情報の受け取り側としての心構え
上記では情報の発信先としての事を書きましたが大抵の人は基本受け取り側です。
その受け取り側としての心構えについて、書いていきます。
インターネットだけにいませんか?
情報の受け取り先がインターネットだけ。それは非常に危険です。
なぜ危険か。いうまでもありません。
ネットの情報の半分以上は真意の程がわからないもの
だからです。(直接嘘って書いてもいいかなと思ったけどさすがに)
それに、最近のネットユーザにはネット上で生活する上で欠かせない心構えが抜けています。
よくTwitterのリプライ欄などに張られていることが多いですが、2ch創設者の西村博之氏はこう言っています。
うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい
これがある意味真理です。
よくネットユーザは「新聞は偏向報道しかしないから見ない」「テレビニュースは主観が入ってるから糞」とか。
いえいえ、ネット情報のほうが大きく主観が入ってますし、個人発信になればなるほどどんどん歪んでいきますよ?(この記事然り)
ではどうすればいいのか?
簡単です。
「多方面から」情報を仕入れればいいのです。
基本的に各新聞社はネット上に掲載記事とほぼ同様の内容を載せていることが多いです。
それを1社だけ見るのではなく、複数社の情報を照らし合わせ、ここの会社ははこの情報を書いていないぞ、とかここの会社は向こうの会社よりあっさり書いているなとか。
そういって比較しながら見ていくということが非常に大切であり、多情報社会を生き抜く必須の術になるのでは、と私は考えています。
もちろんネットやSNS上の情報もそうです。
SNSでいえば複数のアカウントで同じような情報が発信されていればその情報の信頼度は上昇します。
しかし、それで満足してはいけない。そのアカウント群が本当に"生きている"アカウントなのか、そういった面からも比較検討しなければ、その情報が本当に信頼できるものなのかどうかということは判断できません。
この記事を見た人の合言葉にしていきましょう。
情報は「比較検討」し、真意の程を「複数の」発信元を参照して決定する。
これを忘れなければ、大抵の情報は取捨選択できることでしょう。
情報の価値
今では情報の価値は非常に下がりました。
個人がTwitterで特ダネのような情報を発見すればテレビ局のアカウントがそれを使わせてくれと集まってくる。
いつから情報というのは無価値に等しくなったのでしょうか。
だからこそ、本当に価値のある情報を見つけて、それをうまく活用していく。
それができなければ、今後さらに発展していくであろう「多情報社会」に飲み込まれてしまうでしょう。
一見、簡単に入手できるようになった様々な情報。
手に入れるハードルは下がったものの、それを自身で判断するハードルはすごく上がっているといえます。
間違った情報に踊らされることがないよう、この記事の内容でもいいですし、自己流のものを編み出してもいいです、「情報の多方面からの比較検討」。これを忘れないように。