あなたの「常識」はあなたを幸せにしているか?
「 自分の好きなように生きよう」と言う人はネットで結構見かけるようになりました。私もその一人なわけですが(笑)
この記事を書こうと思ったきっかけは以下の記事を読んだからです。
「たのしく生きる」
「好きなものだけを集める」
「友達に合わせる必要は無い」
「常識の壁を越える」
しー汰θさんも、ロールケーキさんも「若いのに色々気付いていてすごいな―」と思います。
私が高校生の時などは「出来る限り誰とでも合わせて仲良くするほうがいいに決まってる」みたいな感じで思っていましたから。
完全に一般常識に毒されていましたね。
「これは常識的考えて良い/悪い」みたいな。
実際のところ、気が合わない人に合わせようとしてもストレスになるだけですし、特に得られるものもないんですよね。
だから自分が好きな人とだけ居ればいいし、そのほうが楽しいに決まってるんです。
私が脱サラした理由の一つもそんな感じです。
会社も仕事も嫌いではなかったし、待遇だってとても良かったから不満はないはずだったのですが、ある時、「ここにいる同僚たちはたまたま同じ会社だから一緒に働いているだけであって、彼らが好きだからとか、彼らと一緒に働きたいと思ったから働いているわけじゃないんだよなー」と気付いたわけです。
あ、同僚の誰かが嫌いだったとかそういうのではないですよ(笑)
当たり前のことですが、サラリーマンというのは、会社から同僚を指定され、お客さんも指定され、それに従って生きているわけです。
やることにしても、自分が「このほうがいいんじゃないか?」と思っても、上司に「いや、こっちのやり方でやってくれ」と言われたらそれに従うしかない。
同僚や上司や客とソリが合わなかったり、一緒に居るのが嫌でも会社に居る限りは我慢しなければならないし、自分のやりたいようにもできない。それが会社員。
だから、脱サラして、今後自分のビジネスをやっていく上で心に決めたのは、「好きな人とだけ仕事をして、好きな事だけをする」「嫌だと思う仕事はしない」ということです。
「そんな風にして、うまくいくはずがない」
「多少気が合わない人とでもうまくやっていく必要がある。それが社会人だ。仕事をナメるな」
って思う人いますか?きっといますよね。
そう言う人は、それが現実になってるんです。(かの有名な、「思考は現実化する」です)
そう信じていることがずーーーーっと続きます。
「嫌いな人とでも仕事をしなければならない厳しい社会人生活」が現実化しているんです。
「それが社会人だ。甘えるな」という現実を自分が作り出してるんですね。
「常識」に捕らわれるとどうなるか?
「これはこうでなければならない」「これが常識だ」と言ってそれを実践している人がいたとして、その人がそれでハッピーなら全然それでいいと思います。
だって、どういう考えをしようが人それぞれの勝手ですからね。
でもそういう人達って結構ハッピーじゃない人が多い。
なぜかというと、自分の本当の気持ちを押さえ付けてその常識を履行しているから。
上で書いた、「それが社会人だ。甘えるな」という意見の人も然り。
もう一つ例を出しましょうか?
例えば、働かないで親のすねをかじって楽しそうに生きている人を見て、「あいつは働きもせず毎日遊んでいてけしからん!」「仕事を見つけてまとな人生を歩め!」みたいに思う人がいたとします。
きっとそうやって言う人は、心のどこかで働きもしないで楽しく生きている人のことを羨ましいと思っているんです。
でもそれを認めてしまったら、「やりたくないのに頑張って仕事をしている今の自分を否定する」ことになる。
だから、自分がやっていることの意義を正当化するために、そうやって相手に対して攻撃的になったり、自分の「常識」を押し付けたりしようとするわけです。
あなたの「常識」はあなたを幸せにしているか?
結局、何が言いたかったかと言うと、自分が信じている「常識」や「こうであるべき」という思い込みがあって、もしそのことがストレスに感じるようなことがあったら、一度立ち止まって、「それが本当に自分を幸せにしているか」をよく考えてみようということです。
特に、学校で教わったことなどは理想論だったり、個人ではなく社会にとって都合の良いことだったりしますからね。
以下は、ブラックな労働環境に悩まされている人に向けて書いた記事です。良かったら合わせてどうぞ。
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